2008年02月13日
フューチャー500北京国際シンポジウム
フューチャー500北京国際シンポジウム(2005.10.18~19)
フューチャー500と言うネットワークをご存知でしょうか?
フューチャー500は、世界売り上げ500社を評価するフォーチュン誌の 世界ランキング「フォーチュン500」に対して、次世代社会への責任と持続可能な循環型社会を目指 し企業経営を目指す世界の500社を評価しようと、10年前にアメリカで発 足しました。提唱者は、日本の木内孝氏とアメリカのビルシャーマン氏です。
開発成長経済でこのまま行けば、地球が後3個要ると言われます。環境汚染、 温暖化、想像を超えた自然災害、新しい病気、化石燃料や資源の枯渇、森林伐 採等々、地球は危機は数え切れないほど有ります。先進国も途上国もこの解決 に直ぐに取り組まないといけません。
この成長限界を認識し持続可能社会へ転換する行動をしている企業を評価 し、成長だけを目指す企業系でなく、地球の生態系の一部しての人間社会の経済 活動と認識し、地球とともに世界の人々が、知恵を出し協働で地球環境を持続 可能な社会にし次世代へ託すことを目指しています。10年前にアメリカ、6 年前に日本、昨年の1月に中国に創設され、フューチャー500の理念が少し づつ世界に広がっています。ちなみに、私もNPOフューチャー500日本の 理事に参加させてもらっています。
今回の北京国際シンポジウム(10月18-19日)には、アメリカ、日本、中国、 インド、UAE、オーストラリア、イギリスから、起業家、研究者が集まり、 丸2日のシンポジムが開催され、日本から世界フューチャー500理事長の木 内氏、九州支部の支部長の青柳氏(福岡)と熊本から私の三人で参加、すばら しい先生方のお話を聞き学ぶことが多かったシンポジウムで、私は地方の実践 者の一人として、2日目午前に、約15分間の実践報告と活動にかける思いを 発表しました。もちろん日本語で、同時通訳を木内氏が勤め、更に中国語に同 時通訳する形で、お話をしました。
木内氏に、北京へ連れて行かれて、何を話そうと木内氏にたずねると、「今君 がやっていることを話しなさい」と言われ、前日深夜までかかり、報告しました。 なにせ、日本を出るまで、会場も日程も分からず、北京空港で木内氏に会い、 17日はホテル(国営Guo Yi Hotel)の講師陣のレセプション、初日の18日は、午前基調講演、 提言、更に午後は人民会議副議長(№2)も入るパネルディスカッションが緊張 を与え、本当に18日深夜まで勉強しながら悩み、考え、19日午前の実践報告を しました。中国の同年代ににも好感持っていただいたようです。
詳しくは、今月のコモンズメールで、報告内容を詳しく書きます。とにかく、 丸3日(17日夜~20日早朝)の期間、英語の語学力の無さと中国語の元気と 速さに圧倒されました。でも、世界7ヶ国のフューチャー500の主要メンバ ー10名+中国の研究者8名による講演は、私にとってとてもの勉強なり、講演 態度や表現の仕方、流れの中で話を変化させ、甲斐をより良きものにしていこ うとする気持ちが理解できとても貴重な経験になりました。友人もたくさんで き、中国の方の新設に感謝しています。
中国の発展は目を見張る勢い
ちょっと感想ですが、中国経済の発展のすごさを体験してきました。このこ とも今月のコモンズメールで、発信したいと思います。古さと新しさの競演が アンバランスですが、日本もかつてその進行過程を進んできました。 中国は、「チャイニーズ・ドリーム」の時代になって来たと感じました。 前後丸四日けっこうハードなフュチャー500・北京シンポジムでした。
刺激でまた元気をもらって来た、野口修一でした。これからも、仕事と活動に 頑張ります。しかし、報告は緊張しました。
「項目」
1.フューチャー500中国・北京国際シンポジウム
~The Future500 china 2005Conference~(日記風にまとめました。)
*報告発表の全文も載せています。
2.NPOフューチャー500日本・福岡シンポジム
~海からの国づくり~
「日本海学」 「博多湾の危機的 現況の話」 「四国の川と沿岸の漁業と生態系の変化」
「世界140人の地球環境の科 学的な検証作業の報告」
3.グロ・ブルントラント氏の自叙伝「世界で仕事をすること」
~元ノルウェー首相・前WHO事務局長~
報告書「我ら共有の未来(Our common Future)」の委員長
4.北京シンポジム報告会
2005年11月25日19:00~熊本市にて、忘年会も兼ねています。
1.フューチャー500中国・北京国際シンポジウム
~The Future500 china 2005Conference~
福岡シンポジム後、16日の日曜日は熊本で日常の仕事と家族の用事を済ませ、 17日朝から北京行きの準備をして、熊本のバスセンターから福岡空港行きの高速 バスに乗り、13:30に国際線ターミナル集合と能古島で打ち合わせ、ちょっと 早めに着いたので昼食を済ませ、待ち合わせ場所へ行くとF500九州の青柳 さんが居て、それからチケットをもらい、「北京の日程は?」とたずねると木内氏が 「北京空港で到着ロビーで、待っているから」だけ言って、東京に帰られたそ うで、とにかく北京空港に行かないと、内容も会場も分からないまま、大連経 由北京行きに中国国際航空B737に登場、中国の発展からか満席でした。
大連空港でのハプニングが一つ、入国手続きで宿泊予定のホテルの記入部分 があったのですが、会場も日程も知らないので、戸惑っていると日本のツアー 客のコンダクターが中国語で係官に告げてくれ、「日本の国内の電話番号」の記 入でOKで、入国できました。そのツアー客の女性数名が、私の住む近郊の人が 居て、妙に海外での身近な親近感を覚えました。
北京に到着、到着ロビーに木内氏が居るか探すが見つからず、二人で「とにか く出て、待つしかないか」と出て、きょろきょろしている木内会長が、いつもの 半そでスタイルで出迎えてくれました。中国側の迎えも居て、一安心。後は、ス タッフに連れられてホテルへ向かいました。夜の7時(日本時間から1時間遅れ) を過ぎた周りか暗く、高速道路を焼く40分近く走り、市道をちょっと走ってホテ ル到着。ホテル(玄関写真)は国営で、到着と同時に7ヶ国の講師たちのレセプションが始ま り、自己紹介や雑談始まりました。アメリカ、日本、インド、オーストラリア、 中東のUAE、イギリス、そして中国のスタッフも含め、約20人の夕食会でし た。夕食会が終って、木内会長に「私は、どんなことを紹介すれば良いのでしょ うか」とたずねると、「今やっていること紹介してください、知事とか市長とかの 対談、異業種交流会、ネットワークなど、2日目午前中に10~15分程度、通訳は 私がする」とあり、そこから実践報告の準備が始まりました。
初日の18日は、朝からセレモニー(会場風景 写真)、基調講演、3名の提言、午後は、人民会議 副議長(?と後で聞きました)が入ってのパネルディスカッション、その後研究者か らの報告があり、国際シンポジウム(メイン会場)とは、こんなものかと思いつつ、時々分かる 英語の単語と、中国語の理解できる漢字を読みつつ、午前は2列目、午後は最前 列で傍聴しました。朝のセレモニーの時に、日本からの報告者と紹介され、内容 は九州の中小企業家の代表だったので、「おれで、良いなか?」と木内氏にたず ねると、「新しい経営スタイルで紹介する」と言われ、「ここまで来たからには、や るしかないか」と方向を決めて考えをまとめ始めました。(シンポジウム風景 写真) (会場記念写真)
初日の行事が終わり、懇親会がはじまると、中国語と英語の乱舞する中、日本 語頼りの九州の二人は、木内氏と一緒のテーブルで2回目の夕食を楽しみました。 前日に食べた唐辛子の辛さに泣いた経験から、用心しながらの食事でしたが、季 節を感じるものの有り、美味しくいただけました。なぜか、最後の果物にスイカ が朝から晩まで出たのが不思議でした。夕食は、ビールも1杯で止め、9時から 深夜2時までかかり、19日の実践報告の原稿をまとめました。
さて、19日の1部は、研究者の報告が有り、2部に4人の実践報告で、福岡の 青柳氏と私が話をしました。私は、4人目で国際シンポジウムも始めて、まして
海外での報告になるとは思ってもみず、緊張して演題に経ちました。内容は、下 記のようなものにしました。
「実践報告の内容」 報告風景(スナップ写真①②)
「ニイハオ」から始まり、自己紹介し、九州地方で、小さな企業の経営をして いる、建築家であり、社会活動家であること、フューチャー500との出会いは、
社会貢献活動を学ぶセミナーで出会ったことを紹介し、日常の話に移りました。
私の社会貢献は、ほとんどがボランティア活動で、特徴は地域が小さいことも 有り、活動の分野が多様なことにあります。環境保全、歴史文化の検証、子育て 支援、男女共同参画、福祉のまちづくり、公共対策など、10を越える活動に参加 し、活動で分かった問題点は関係有る、行政や企業へ提言し、改善するように申し 入れ、社会をより良きものにできるように、時間と労力を注いで来ました。
社会貢献の勉強は、15年前にさかのぼります。建築の設計事務所開設と同時に、 自営業の利点を生かし、時間を調整し、社会の現況のこと、まちづくりのこと、 環境の現状のことを学ぶ、セミナーや研究会に参加するようになりました。そこ で、一人の教授に出会います。教授の考え「地球規模で考え、足元の地域で行動 を起す」に賛同し、約五年間、様々な地域社会のことを学び、多くの地域のリー ダーのお話を聞き、意見を交わさせてもらいました。
この教授の主催する「くまもと地球市民塾」の事業で、1997年に熊本で西日本 初、規模も400名を越える「九州太陽エネルギー研究集会」を開催することにな り、私も企画準備に関わり、日本の新エネルギー分野の最先端の研究者や、九州 の新進気鋭の技術者と出会いました。この研究集会には、当時の県知事も参加さ れ、その参加者の多さと関心の高さに、時代を感じたと感想を述べられたと言い ます。ここで、「私も、なにかやろう」と私の目覚まし時計が鳴りました。
それまでは、学ぶだけのスタッフが、社会貢献するために仲間作りに走り回る 日々が始まりました。その重要な仲間であり指導者が、木内氏で有り、友人で有 る青柳氏です。1998年から始まった、地域で信頼できる有能な人材探しとネット ワーク作りでは、一人と話す時間を大切にし、とことん時間をかけて話し込むこ とで理解が深まって行きました。ですから、どんなに頑張っても年間100人程度 で、9年でやっと1,000人近くになっています。
その出会った人たちを集め、年に4回セミナーと交流会を企画し、ネットワークの親睦を はかり、私を介してリンクさせ、企業の連携を図り、交流会の対話から地域の問 題点が浮かび上がり、さらにまちづくり関わるスタッフが出てきて、私と一緒に まちづくりにも参加するようになりました。
(会場にむかって)こんな活動の話をすると、九州は「のん気」で良いなと感 じられるかと思いますが、九州でも日々激しい競争の中で仕事しています。ただ、 競争ばかりに走るとフォーチュン500の方向に進み、私はフューチャー500 の仲間になれません。そうではなくて、持続可能な地域社会にする活動にも参加 し、事業経営も健全にやることを目指すのが、フューチャー500の理念と考え ています。
地方の市場でそんなことができるか疑問に思われますので、成功している企業 を紹介したいと思います。この経営者は、太陽エネルギー研修会で出会ったので すが、開業当初は普通の家電販売店だったそうです。しかし、バブル経済崩壊後 低迷し、苦労が続く中でアメリカのニュースで太陽光発電設備を設置するところ を見て「これからは、これだ」と九州には資料が無いので独自に集め勉強し、元 々研究熱心なことで取付金具やアルミの溶接技術を習得し、徐々に事業を進めた ころが研修会開催でした。それから一緒に社会的な活動を一緒にするようになり ました。
研修会当時、夫婦二人で始めた家電店で太陽光発設備部門の売り上げは、年間 2千万程度だったそうですが、毎年成長を続け九州を代表する太陽光発電販売の 企業になっています。これを支えているのは、地域の信頼のネットワーク「社会関係資本」と創業 時の「未来社会への貢献」に市民が賛同し、協力してくれた結果だと思います。 今も一緒に仕事しているのですが、益々元気になっていまして、彼曰く「私は、 人のために仕事をします」だそうです。
さて、私の現在の活動は、今のような元気な企業仲間を合わせる異業種交流会 を主催し、仲間の多様な個性や能力を整理し、情報発信する仕事、社会活動を企 画運営したり、地元の大学でまちづくりの講義をしたりを、企業活動のかたわら 続けています。木内氏にも、2002年以来、毎年熊本へお招きして、講演会や主要
な自治体の首長との対談をしてもらっています。おかげで、県知事や県都の市長 も理解し応援してもらっていまし、企画にも参加してもらっています。
この活動で重要なことは、「未来社会を思う熱き志」と「私心のないこと」に あります。私も活動初めの頃は、色々な中傷や入れ知恵などありましたが、小さ くても主旨をしっかり持ち、地道に続けて来たことで、協力者も増え、地域社会 に認知され、ついには北京まで来る事になりました。全てがすばらしい人たちの との出会いから始まりました。
また、私の考えの基本に、自然も地域社会も制度も、現代の人が未来の世代か ら預かっている、大切な「社会的共通資本」と考えています。昨日から地球の危 機の話が出ていますが、私たちが変ることで世界が変わって行くと思っています。
私は、今の行動理念に行き着くまで、様々な本や人に学びました。特に影響を 受けているのが、中国の古典の「孔子」「孟子」、王陽明の流れを汲む「陽明学」 などが、私の考え方に大きく役立っています。そして到達した「知行合一」は、 「知識は理解し行動に起してこそ知識」という考えです。幕末の志士の考えにも たくさん学びました。
このシンポジウムでも、気付きと行動がテーマに在ると思っています。皆さん も今日の気付きから、小さなことでも良いですから、まず行動を起してみましょ う。そして仲間を募り、ネットワークをすることで思いが広がり、地域更には世界 が、少しづつですが変わって行くと思っています。
私は、今回の北京シンポジウムで、アジアの人も、世界の人も、思いが同じ方 向を向いていることが分かりました。とてもすばらしい経験になり、多くの友人 もできました。この北京シンポジウムに来れたことに感謝しています。
最後に、今年出あった古くてあたら良い言葉のインドの指導者マハト・マガン ジーの言葉を紹介します。
We must become the change we want to be.
(我々は、変化そのものにならなけれ ばならない。)
ご清聴ありがとうございました。シエシエ
上記が、私の実践報告の全文です。社会制度が違うので、どこまで分かってもら えたか不安でしたが、報告会の後の昼食会で、全然知らない中国の中年の女性か ら日本に住む日本語のできる中国の方を紹介され、電話で話をしてと携帯電話を 渡され、少しお話をしました。びっくりですが、木内氏から「君の話に関心を持 ったのだよ」と言われ、無事に責任を果たしたのかなと胸をなでおろしました。 ちなみに、私のシンポジウムでの位置づけは、九州の中小企業の代表(良いのかと思いつつ?)として、発 表をしました。
午後はまとめに入り、それまでの発表を踏まえて研究者の報告と会場から意見 があり、最後にシンポジウムの司会のまとめの言葉、主催者のビル・シャーマン氏、木内 孝氏が感想を述べ、中国シンポジウムの責任者の金周英氏がまとめを述べて、満 場の拍手の中で会は終了しました。本当にすばらしい経験になりました。
その後、講師たちと中国シンポジムのスタッフとの慰労の夕食会が有り、和や かに中に色々意見が来年へ向けた議論になっていました。そのエネルギーのすご さも理解でき、丸二日(前後を入れると4日間)につぎ込まれた主要な方のご 苦労を思い頭が下がる思いをしました。夕食後に、北京の主要地区を車で一時間ドライ ブ(車窓から見物)して、ホテルに帰り疲れからシャワーを浴びて直ぐ寝ました。(シンポジムの交流スナップ写真他)
4日目の20日は、朝5時30分起きで、朝食を食べずにホテルを6時30分に出て空港へ向い、約50分 走り空港に着くと早朝なのにその混雑振りは、現在の中国発展を写すような賑わ いでした。どうにか、チェックインを済ませて朝食を取ろうと周りを見ると、日 本のようなレストランも無く、「機内食でどうにかできるか」と思って登場すると、 乗客の大きな団体が30分遅れ待つことになり、それが原因で、全員揃ったのです が、霧も有り管制塔から離陸調整が上手く行かずに、飛行機に1時間50分足止め して離陸、更に飛んでいる間も天候が悪く、機内サービス中止で13時まで何も食 べずに、大連到着。到着後、出国手続きを済ませて、お土産買おうと免税店に行く と、福岡行きのアナウンス、乗客は搭乗口へ向っていたのですが、飛行機の性で 遅れたのに、福岡へは予定時間に飛ぶらしく、「それはないだろう!」、そこはおじさんの気合で、チェッ クインぎりぎりまでの5分で、買い物済ませ無事搭乗し福岡へ向かいました。
3泊4日の北京シンポジウムで色々経験でき、良き機会なりました。これも、 木内とのご縁のおかげと思っています。そして、本当に親切にしていただいた、 金周英夫妻とシンポジムのスタッフ、更には世界から来られた講師に感謝するば かりです。このことから、私はとても中国が近い存在になりました。やはり、人 との出会いが世界を身近なものにして行くのだと感じたフューチャー500中国 の北京シンポジウムでした。
フューチャー500と言うネットワークをご存知でしょうか?
フューチャー500は、世界売り上げ500社を評価するフォーチュン誌の 世界ランキング「フォーチュン500」に対して、次世代社会への責任と持続可能な循環型社会を目指 し企業経営を目指す世界の500社を評価しようと、10年前にアメリカで発 足しました。提唱者は、日本の木内孝氏とアメリカのビルシャーマン氏です。
開発成長経済でこのまま行けば、地球が後3個要ると言われます。環境汚染、 温暖化、想像を超えた自然災害、新しい病気、化石燃料や資源の枯渇、森林伐 採等々、地球は危機は数え切れないほど有ります。先進国も途上国もこの解決 に直ぐに取り組まないといけません。
この成長限界を認識し持続可能社会へ転換する行動をしている企業を評価 し、成長だけを目指す企業系でなく、地球の生態系の一部しての人間社会の経済 活動と認識し、地球とともに世界の人々が、知恵を出し協働で地球環境を持続 可能な社会にし次世代へ託すことを目指しています。10年前にアメリカ、6 年前に日本、昨年の1月に中国に創設され、フューチャー500の理念が少し づつ世界に広がっています。ちなみに、私もNPOフューチャー500日本の 理事に参加させてもらっています。
今回の北京国際シンポジウム(10月18-19日)には、アメリカ、日本、中国、 インド、UAE、オーストラリア、イギリスから、起業家、研究者が集まり、 丸2日のシンポジムが開催され、日本から世界フューチャー500理事長の木 内氏、九州支部の支部長の青柳氏(福岡)と熊本から私の三人で参加、すばら しい先生方のお話を聞き学ぶことが多かったシンポジウムで、私は地方の実践 者の一人として、2日目午前に、約15分間の実践報告と活動にかける思いを 発表しました。もちろん日本語で、同時通訳を木内氏が勤め、更に中国語に同 時通訳する形で、お話をしました。
木内氏に、北京へ連れて行かれて、何を話そうと木内氏にたずねると、「今君 がやっていることを話しなさい」と言われ、前日深夜までかかり、報告しました。 なにせ、日本を出るまで、会場も日程も分からず、北京空港で木内氏に会い、 17日はホテル(国営Guo Yi Hotel)の講師陣のレセプション、初日の18日は、午前基調講演、 提言、更に午後は人民会議副議長(№2)も入るパネルディスカッションが緊張 を与え、本当に18日深夜まで勉強しながら悩み、考え、19日午前の実践報告を しました。中国の同年代ににも好感持っていただいたようです。
詳しくは、今月のコモンズメールで、報告内容を詳しく書きます。とにかく、 丸3日(17日夜~20日早朝)の期間、英語の語学力の無さと中国語の元気と 速さに圧倒されました。でも、世界7ヶ国のフューチャー500の主要メンバ ー10名+中国の研究者8名による講演は、私にとってとてもの勉強なり、講演 態度や表現の仕方、流れの中で話を変化させ、甲斐をより良きものにしていこ うとする気持ちが理解できとても貴重な経験になりました。友人もたくさんで き、中国の方の新設に感謝しています。
中国の発展は目を見張る勢い
ちょっと感想ですが、中国経済の発展のすごさを体験してきました。このこ とも今月のコモンズメールで、発信したいと思います。古さと新しさの競演が アンバランスですが、日本もかつてその進行過程を進んできました。 中国は、「チャイニーズ・ドリーム」の時代になって来たと感じました。 前後丸四日けっこうハードなフュチャー500・北京シンポジムでした。
刺激でまた元気をもらって来た、野口修一でした。これからも、仕事と活動に 頑張ります。しかし、報告は緊張しました。
「項目」
1.フューチャー500中国・北京国際シンポジウム
~The Future500 china 2005Conference~(日記風にまとめました。)
*報告発表の全文も載せています。
2.NPOフューチャー500日本・福岡シンポジム
~海からの国づくり~
「日本海学」 「博多湾の危機的 現況の話」 「四国の川と沿岸の漁業と生態系の変化」
「世界140人の地球環境の科 学的な検証作業の報告」
3.グロ・ブルントラント氏の自叙伝「世界で仕事をすること」
~元ノルウェー首相・前WHO事務局長~
報告書「我ら共有の未来(Our common Future)」の委員長
4.北京シンポジム報告会
2005年11月25日19:00~熊本市にて、忘年会も兼ねています。
1.フューチャー500中国・北京国際シンポジウム
~The Future500 china 2005Conference~
福岡シンポジム後、16日の日曜日は熊本で日常の仕事と家族の用事を済ませ、 17日朝から北京行きの準備をして、熊本のバスセンターから福岡空港行きの高速 バスに乗り、13:30に国際線ターミナル集合と能古島で打ち合わせ、ちょっと 早めに着いたので昼食を済ませ、待ち合わせ場所へ行くとF500九州の青柳 さんが居て、それからチケットをもらい、「北京の日程は?」とたずねると木内氏が 「北京空港で到着ロビーで、待っているから」だけ言って、東京に帰られたそ うで、とにかく北京空港に行かないと、内容も会場も分からないまま、大連経 由北京行きに中国国際航空B737に登場、中国の発展からか満席でした。
大連空港でのハプニングが一つ、入国手続きで宿泊予定のホテルの記入部分 があったのですが、会場も日程も知らないので、戸惑っていると日本のツアー 客のコンダクターが中国語で係官に告げてくれ、「日本の国内の電話番号」の記 入でOKで、入国できました。そのツアー客の女性数名が、私の住む近郊の人が 居て、妙に海外での身近な親近感を覚えました。
北京に到着、到着ロビーに木内氏が居るか探すが見つからず、二人で「とにか く出て、待つしかないか」と出て、きょろきょろしている木内会長が、いつもの 半そでスタイルで出迎えてくれました。中国側の迎えも居て、一安心。後は、ス タッフに連れられてホテルへ向かいました。夜の7時(日本時間から1時間遅れ) を過ぎた周りか暗く、高速道路を焼く40分近く走り、市道をちょっと走ってホテ ル到着。ホテル(玄関写真)は国営で、到着と同時に7ヶ国の講師たちのレセプションが始ま り、自己紹介や雑談始まりました。アメリカ、日本、インド、オーストラリア、 中東のUAE、イギリス、そして中国のスタッフも含め、約20人の夕食会でし た。夕食会が終って、木内会長に「私は、どんなことを紹介すれば良いのでしょ うか」とたずねると、「今やっていること紹介してください、知事とか市長とかの 対談、異業種交流会、ネットワークなど、2日目午前中に10~15分程度、通訳は 私がする」とあり、そこから実践報告の準備が始まりました。
初日の18日は、朝からセレモニー(会場風景 写真)、基調講演、3名の提言、午後は、人民会議 副議長(?と後で聞きました)が入ってのパネルディスカッション、その後研究者か らの報告があり、国際シンポジウム(メイン会場)とは、こんなものかと思いつつ、時々分かる 英語の単語と、中国語の理解できる漢字を読みつつ、午前は2列目、午後は最前 列で傍聴しました。朝のセレモニーの時に、日本からの報告者と紹介され、内容 は九州の中小企業家の代表だったので、「おれで、良いなか?」と木内氏にたず ねると、「新しい経営スタイルで紹介する」と言われ、「ここまで来たからには、や るしかないか」と方向を決めて考えをまとめ始めました。(シンポジウム風景 写真) (会場記念写真)
初日の行事が終わり、懇親会がはじまると、中国語と英語の乱舞する中、日本 語頼りの九州の二人は、木内氏と一緒のテーブルで2回目の夕食を楽しみました。 前日に食べた唐辛子の辛さに泣いた経験から、用心しながらの食事でしたが、季 節を感じるものの有り、美味しくいただけました。なぜか、最後の果物にスイカ が朝から晩まで出たのが不思議でした。夕食は、ビールも1杯で止め、9時から 深夜2時までかかり、19日の実践報告の原稿をまとめました。
さて、19日の1部は、研究者の報告が有り、2部に4人の実践報告で、福岡の 青柳氏と私が話をしました。私は、4人目で国際シンポジウムも始めて、まして
海外での報告になるとは思ってもみず、緊張して演題に経ちました。内容は、下 記のようなものにしました。
「実践報告の内容」 報告風景(スナップ写真①②)
「ニイハオ」から始まり、自己紹介し、九州地方で、小さな企業の経営をして いる、建築家であり、社会活動家であること、フューチャー500との出会いは、
社会貢献活動を学ぶセミナーで出会ったことを紹介し、日常の話に移りました。
私の社会貢献は、ほとんどがボランティア活動で、特徴は地域が小さいことも 有り、活動の分野が多様なことにあります。環境保全、歴史文化の検証、子育て 支援、男女共同参画、福祉のまちづくり、公共対策など、10を越える活動に参加 し、活動で分かった問題点は関係有る、行政や企業へ提言し、改善するように申し 入れ、社会をより良きものにできるように、時間と労力を注いで来ました。
社会貢献の勉強は、15年前にさかのぼります。建築の設計事務所開設と同時に、 自営業の利点を生かし、時間を調整し、社会の現況のこと、まちづくりのこと、 環境の現状のことを学ぶ、セミナーや研究会に参加するようになりました。そこ で、一人の教授に出会います。教授の考え「地球規模で考え、足元の地域で行動 を起す」に賛同し、約五年間、様々な地域社会のことを学び、多くの地域のリー ダーのお話を聞き、意見を交わさせてもらいました。
この教授の主催する「くまもと地球市民塾」の事業で、1997年に熊本で西日本 初、規模も400名を越える「九州太陽エネルギー研究集会」を開催することにな り、私も企画準備に関わり、日本の新エネルギー分野の最先端の研究者や、九州 の新進気鋭の技術者と出会いました。この研究集会には、当時の県知事も参加さ れ、その参加者の多さと関心の高さに、時代を感じたと感想を述べられたと言い ます。ここで、「私も、なにかやろう」と私の目覚まし時計が鳴りました。
それまでは、学ぶだけのスタッフが、社会貢献するために仲間作りに走り回る 日々が始まりました。その重要な仲間であり指導者が、木内氏で有り、友人で有 る青柳氏です。1998年から始まった、地域で信頼できる有能な人材探しとネット ワーク作りでは、一人と話す時間を大切にし、とことん時間をかけて話し込むこ とで理解が深まって行きました。ですから、どんなに頑張っても年間100人程度 で、9年でやっと1,000人近くになっています。
その出会った人たちを集め、年に4回セミナーと交流会を企画し、ネットワークの親睦を はかり、私を介してリンクさせ、企業の連携を図り、交流会の対話から地域の問 題点が浮かび上がり、さらにまちづくり関わるスタッフが出てきて、私と一緒に まちづくりにも参加するようになりました。
(会場にむかって)こんな活動の話をすると、九州は「のん気」で良いなと感 じられるかと思いますが、九州でも日々激しい競争の中で仕事しています。ただ、 競争ばかりに走るとフォーチュン500の方向に進み、私はフューチャー500 の仲間になれません。そうではなくて、持続可能な地域社会にする活動にも参加 し、事業経営も健全にやることを目指すのが、フューチャー500の理念と考え ています。
地方の市場でそんなことができるか疑問に思われますので、成功している企業 を紹介したいと思います。この経営者は、太陽エネルギー研修会で出会ったので すが、開業当初は普通の家電販売店だったそうです。しかし、バブル経済崩壊後 低迷し、苦労が続く中でアメリカのニュースで太陽光発電設備を設置するところ を見て「これからは、これだ」と九州には資料が無いので独自に集め勉強し、元 々研究熱心なことで取付金具やアルミの溶接技術を習得し、徐々に事業を進めた ころが研修会開催でした。それから一緒に社会的な活動を一緒にするようになり ました。
研修会当時、夫婦二人で始めた家電店で太陽光発設備部門の売り上げは、年間 2千万程度だったそうですが、毎年成長を続け九州を代表する太陽光発電販売の 企業になっています。これを支えているのは、地域の信頼のネットワーク「社会関係資本」と創業 時の「未来社会への貢献」に市民が賛同し、協力してくれた結果だと思います。 今も一緒に仕事しているのですが、益々元気になっていまして、彼曰く「私は、 人のために仕事をします」だそうです。
さて、私の現在の活動は、今のような元気な企業仲間を合わせる異業種交流会 を主催し、仲間の多様な個性や能力を整理し、情報発信する仕事、社会活動を企 画運営したり、地元の大学でまちづくりの講義をしたりを、企業活動のかたわら 続けています。木内氏にも、2002年以来、毎年熊本へお招きして、講演会や主要
な自治体の首長との対談をしてもらっています。おかげで、県知事や県都の市長 も理解し応援してもらっていまし、企画にも参加してもらっています。
この活動で重要なことは、「未来社会を思う熱き志」と「私心のないこと」に あります。私も活動初めの頃は、色々な中傷や入れ知恵などありましたが、小さ くても主旨をしっかり持ち、地道に続けて来たことで、協力者も増え、地域社会 に認知され、ついには北京まで来る事になりました。全てがすばらしい人たちの との出会いから始まりました。
また、私の考えの基本に、自然も地域社会も制度も、現代の人が未来の世代か ら預かっている、大切な「社会的共通資本」と考えています。昨日から地球の危 機の話が出ていますが、私たちが変ることで世界が変わって行くと思っています。
私は、今の行動理念に行き着くまで、様々な本や人に学びました。特に影響を 受けているのが、中国の古典の「孔子」「孟子」、王陽明の流れを汲む「陽明学」 などが、私の考え方に大きく役立っています。そして到達した「知行合一」は、 「知識は理解し行動に起してこそ知識」という考えです。幕末の志士の考えにも たくさん学びました。
このシンポジウムでも、気付きと行動がテーマに在ると思っています。皆さん も今日の気付きから、小さなことでも良いですから、まず行動を起してみましょ う。そして仲間を募り、ネットワークをすることで思いが広がり、地域更には世界 が、少しづつですが変わって行くと思っています。
私は、今回の北京シンポジウムで、アジアの人も、世界の人も、思いが同じ方 向を向いていることが分かりました。とてもすばらしい経験になり、多くの友人 もできました。この北京シンポジウムに来れたことに感謝しています。
最後に、今年出あった古くてあたら良い言葉のインドの指導者マハト・マガン ジーの言葉を紹介します。
We must become the change we want to be.
(我々は、変化そのものにならなけれ ばならない。)
ご清聴ありがとうございました。シエシエ
上記が、私の実践報告の全文です。社会制度が違うので、どこまで分かってもら えたか不安でしたが、報告会の後の昼食会で、全然知らない中国の中年の女性か ら日本に住む日本語のできる中国の方を紹介され、電話で話をしてと携帯電話を 渡され、少しお話をしました。びっくりですが、木内氏から「君の話に関心を持 ったのだよ」と言われ、無事に責任を果たしたのかなと胸をなでおろしました。 ちなみに、私のシンポジウムでの位置づけは、九州の中小企業の代表(良いのかと思いつつ?)として、発 表をしました。
午後はまとめに入り、それまでの発表を踏まえて研究者の報告と会場から意見 があり、最後にシンポジウムの司会のまとめの言葉、主催者のビル・シャーマン氏、木内 孝氏が感想を述べ、中国シンポジウムの責任者の金周英氏がまとめを述べて、満 場の拍手の中で会は終了しました。本当にすばらしい経験になりました。
その後、講師たちと中国シンポジムのスタッフとの慰労の夕食会が有り、和や かに中に色々意見が来年へ向けた議論になっていました。そのエネルギーのすご さも理解でき、丸二日(前後を入れると4日間)につぎ込まれた主要な方のご 苦労を思い頭が下がる思いをしました。夕食後に、北京の主要地区を車で一時間ドライ ブ(車窓から見物)して、ホテルに帰り疲れからシャワーを浴びて直ぐ寝ました。(シンポジムの交流スナップ写真他)
4日目の20日は、朝5時30分起きで、朝食を食べずにホテルを6時30分に出て空港へ向い、約50分 走り空港に着くと早朝なのにその混雑振りは、現在の中国発展を写すような賑わ いでした。どうにか、チェックインを済ませて朝食を取ろうと周りを見ると、日 本のようなレストランも無く、「機内食でどうにかできるか」と思って登場すると、 乗客の大きな団体が30分遅れ待つことになり、それが原因で、全員揃ったのです が、霧も有り管制塔から離陸調整が上手く行かずに、飛行機に1時間50分足止め して離陸、更に飛んでいる間も天候が悪く、機内サービス中止で13時まで何も食 べずに、大連到着。到着後、出国手続きを済ませて、お土産買おうと免税店に行く と、福岡行きのアナウンス、乗客は搭乗口へ向っていたのですが、飛行機の性で 遅れたのに、福岡へは予定時間に飛ぶらしく、「それはないだろう!」、そこはおじさんの気合で、チェッ クインぎりぎりまでの5分で、買い物済ませ無事搭乗し福岡へ向かいました。
3泊4日の北京シンポジウムで色々経験でき、良き機会なりました。これも、 木内とのご縁のおかげと思っています。そして、本当に親切にしていただいた、 金周英夫妻とシンポジムのスタッフ、更には世界から来られた講師に感謝するば かりです。このことから、私はとても中国が近い存在になりました。やはり、人 との出会いが世界を身近なものにして行くのだと感じたフューチャー500中国 の北京シンポジウムでした。
Posted by ノグチ(noguchi) at 22:30│Comments(0)│TrackBack(0)

