2008年02月15日
「気配り」と「ご機嫌取り」は、意味が違う
「気配り」と「ご機嫌取り」は、意味が違う
色々な処で移動の時期ですが、「出世」「左遷」、「現状維持」等々、人の受ける感想は色々有りますが、事例一つで海外へ行くことのあるサラリーマンも大変なかと思います。私は、自営業で移動はありませんが、日々事を続ける中にも「気配り」や「ご機嫌取り」の風景を見ることがあります。片方は感動を与え、片方は気分良いものではない印象を持ちます。
さて、植田正也著「電通『鬼十則』」の中の一節に、「気配り」と「ご機嫌取り」についての解説がありました。
(本文より)
気配りと言うと、ご機嫌取りやおべんちゃらと混同しがちであるが、この二つのことは全く逆の位置に存在する内容である。
どう違うか。
気配りは、相手の心情、状況への思いやりであり、そこにはこちらのエゴがない。
ところが、ご機嫌取りやおべんちゃらは、その場限りの日和見で相手への真心はなく、エゴの裏返しでしかない。
この二つは、一見、混同され易い。同じ気を遣うのだが、内容が「違うこと」に注意しなくてはならない。
しかし、気配りとご機嫌取りの本質は、周囲にはっきり見えるということである。わからないと思うのはやっている本人だけで、本性がはっきりと外へ現れるということだ。(中略)
(本文より)
気配りとゴマスリは、根本的に違う。
気配りとゴマスリを混同している人は、案外に多いのだ。
気配りには、尊敬の気持ちがある。
ゴマスリには、卑しさの気持ちが出る。
この二つは似て非なるものだ。
いやーっ、きびしい指摘ですね。でも、目上の方に語る風景を長らく見ていると、感覚的に「これ、ゴマスリ?」ではと、思う場面を多々みます。会社だけでなく、地域の様々な組織やグループでもあります。人の習性の怖さを感じるものと思います。
植田氏は、真の気配りについての意味を、説明しています。
(本文より)
気配りって結構、創造人間の領域の問題である、創造的な人間でないとできない精神のウォーミングアップ運動なのだ。(中略)
そもそもこの文章の本となった、項目では、八方への気配りに進めでしたが、項目の最後のまとめに次の一節がありました。電通4代目社長の吉田秀雄氏の訓示の言葉です。
(本文、吉田秀雄語録より)
新しいビジネスに必要な三つの「S」。
・Strategy:戦略的発想と行動
・Speed :決断と創造のスピード(経営)
・Simple :単純化のよるコア・コンピタンス〔核心〕の発見
「頭は常に、「全廻転」八方に気を配って一分の隙間もあってはならぬ。」
私心を捨て、相手のことを思っての気配りの進めと思います。この言葉は、今でも十分通用する人生の訓示と思います。
互いを伸ばすような事業を協働で、作り出すような人間関係を作りたい思います。
安岡正篤氏の著書「申吟語を読む」の中で、幕末の薩摩藩主の島津斉彬公が、部下の西郷隆盛のことを、
「この男は西郷隆盛というて、いわゆる知識だの才幹だのというものではなくて天性の大仁物です」
と、松平駿嶽に答えたそうです。これは、巡り巡って西郷の耳にいつか入ると思いますが、斉彬公の地位を考えると、素晴らしい見識と発言と思います。これこそが、気配りではないかと思います。その後の西郷の活躍は、歴史が証明しています。
*参考資料:植田正也著「電通『鬼十則』」(PHP文庫)
安岡正篤著「申吟語を読む」(致知出版)
色々な処で移動の時期ですが、「出世」「左遷」、「現状維持」等々、人の受ける感想は色々有りますが、事例一つで海外へ行くことのあるサラリーマンも大変なかと思います。私は、自営業で移動はありませんが、日々事を続ける中にも「気配り」や「ご機嫌取り」の風景を見ることがあります。片方は感動を与え、片方は気分良いものではない印象を持ちます。
さて、植田正也著「電通『鬼十則』」の中の一節に、「気配り」と「ご機嫌取り」についての解説がありました。
(本文より)
気配りと言うと、ご機嫌取りやおべんちゃらと混同しがちであるが、この二つのことは全く逆の位置に存在する内容である。
どう違うか。
気配りは、相手の心情、状況への思いやりであり、そこにはこちらのエゴがない。
ところが、ご機嫌取りやおべんちゃらは、その場限りの日和見で相手への真心はなく、エゴの裏返しでしかない。
この二つは、一見、混同され易い。同じ気を遣うのだが、内容が「違うこと」に注意しなくてはならない。
しかし、気配りとご機嫌取りの本質は、周囲にはっきり見えるということである。わからないと思うのはやっている本人だけで、本性がはっきりと外へ現れるということだ。(中略)
(本文より)
気配りとゴマスリは、根本的に違う。
気配りとゴマスリを混同している人は、案外に多いのだ。
気配りには、尊敬の気持ちがある。
ゴマスリには、卑しさの気持ちが出る。
この二つは似て非なるものだ。
いやーっ、きびしい指摘ですね。でも、目上の方に語る風景を長らく見ていると、感覚的に「これ、ゴマスリ?」ではと、思う場面を多々みます。会社だけでなく、地域の様々な組織やグループでもあります。人の習性の怖さを感じるものと思います。
植田氏は、真の気配りについての意味を、説明しています。
(本文より)
気配りって結構、創造人間の領域の問題である、創造的な人間でないとできない精神のウォーミングアップ運動なのだ。(中略)
そもそもこの文章の本となった、項目では、八方への気配りに進めでしたが、項目の最後のまとめに次の一節がありました。電通4代目社長の吉田秀雄氏の訓示の言葉です。
(本文、吉田秀雄語録より)
新しいビジネスに必要な三つの「S」。
・Strategy:戦略的発想と行動
・Speed :決断と創造のスピード(経営)
・Simple :単純化のよるコア・コンピタンス〔核心〕の発見
「頭は常に、「全廻転」八方に気を配って一分の隙間もあってはならぬ。」
私心を捨て、相手のことを思っての気配りの進めと思います。この言葉は、今でも十分通用する人生の訓示と思います。
互いを伸ばすような事業を協働で、作り出すような人間関係を作りたい思います。
安岡正篤氏の著書「申吟語を読む」の中で、幕末の薩摩藩主の島津斉彬公が、部下の西郷隆盛のことを、
「この男は西郷隆盛というて、いわゆる知識だの才幹だのというものではなくて天性の大仁物です」
と、松平駿嶽に答えたそうです。これは、巡り巡って西郷の耳にいつか入ると思いますが、斉彬公の地位を考えると、素晴らしい見識と発言と思います。これこそが、気配りではないかと思います。その後の西郷の活躍は、歴史が証明しています。
*参考資料:植田正也著「電通『鬼十則』」(PHP文庫)
安岡正篤著「申吟語を読む」(致知出版)
Posted by ノグチ(noguchi) at 22:43│Comments(0)│TrackBack(0)

